初 め に
1999年の秋、第4回上海国際映画祭の主会場である上海影城のチケットセンターのカウンターに1枚のパンフレットが載っていた。ざら紙に黒いインクで「《小武》学術上映会」と書かれ、その日の夕方から華東師範大学構内で上映会がひらかれるという。さっそくタクシーで会場に向かった。大学構内の階段教室前の廊下は若い人たちであふれていた。その中に、ふっくらした顔つきの小柄な人物がいた。それが賈監督との最初の出会いだった。階段教室の中は若者たちでもっといっぱいだった。座席と座席の間の通路だけでなく教壇の近くまで座り込んだ若者たちでいっぱいだった。
この熱気は一体なんだ。彼らをこんなに熱くさせる映画とは。当時、日本では中国映画と言えば、第五世代と呼ばれる監督たちの作品が代表するとされていた。しかし、実のところ彼らの作品に対する関心が次第に薄れて来ているのを感じていた。特に《覇王別姫》後の作品は「何か違ってきた」と感じざるをえなかった。
やがて上映が始まった。画面はそれまで見て来た中国映画の映像とは全く違うざらざらとした感じだった。主人公も美人や英雄ではなく、中国の田舎の街の冴えない青年だった。彼の「仕事」はスリ。改革開放政策の中で大きく動き出した社会は、田舎町の青年の巡りにも及び、それまでの秩序が変わりはじめていた。新しい変化が否応無く押し寄せる一方で、青年たちの心にも暮らしにも人間関係にも大きな亀裂が生まれていた。カメラが、手錠で電柱にくくり付けられた主人公の視線になって、彼を見つめる群衆を見つめる。そこで唐突に影像はカットされた。
上映が終わると若者たちから監督に向かって次々と質問が富んだ。その熱気は1時間近く続き、上映会が終了したのは夜の9時を回っていた。新しい時代が始まりつつあるのを感じた。賈監督とともに教室の外にでると、晴れ渡った夜空に月が煌煌と輝いて見下ろしていた。《世界》のラストの台詞ではないが、賈監督との関わりはこの日「まだ始まったばかり」だった。
10年が経った。賈監督は、常に揺れ動く世の中に暮らす低層の人々に焦点をあて続けて来た。この姿勢は今も変わっていないと編者は考えている。賈監督は、自らの作品についてだけでなく、この1世紀余りの中国の変化に対する考え方にいたるまで、多くのメディアを通じて表明して来た。
本書は、編者の賈監督への07と08年のインタビューのほか、賈監督の公式ネットページの多くの発言記録、放送・講演会や雑誌上の発言など106本から日本語に訳した。すでに捜し出すのが困難になっている発言も多い。このような発言集は中国に於いても発行されていないと聞いている。彼のその時々の発言をここに集め、再編することによって、今や中国を代表する監督の一人になった賈監督が何を思い、映画を撮り続けているか理解する手助けになれば幸いだ。
なお、この日本語訳については、中国語原文との対訳原稿を賈監督自身にお渡しして発表許可を得てありますので、ご留意ください。
2008年7月20日
開始工作坊