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19賈樟柯、《冰点》に答える 01

中国青年報《冰点》の徐百柯が賈樟柯にインタビューし、「賈樟柯、中国の映画体制を語る」と題して掲載、07年1月10日のFANHALLが上網。



記:最近あなたの発言は明らかに多くなっており、そのうえ時には先鋭な言葉だ。あなたのこれまでの印象は比較的控えめで、温和だった。こういう事か。

1901賈:そうだ、話しはますます多くなってきた。我々は監督として、共同して中国の映画環境が穴だらけに変わったことに対してきた、問題は非常に多い。その中でも最大の問題は、中国の本当に価値のある映画が、完全に所謂商業映画という神話によってすっぽり覆われてしまい、完全に大衆が知る機会がなくなっている事だ。

非常に多くの人たちが言っているように、賈樟かの話しは現在こんなに多いのは、1本のフィルムの発行についであればここまでなるだろうか。

1902賈:私はこれは一つの誤解だと考えている。実際に機会については、商業上の機会を含めて、或いは我々の販売を含めて、私について言えばなお非常に多い、つまり興行成績が良いか悪い可にかかわらず、私の映画はなおスクリーンの上で観衆と対面する機会が有る。私自身の生存環境がどれほど悪く劣っているかを言っているのでは決してない、そうではなくて私は数多くの映画を撮ったばかりの若い監督、彼らの生存環境が非常に悪くなっていることを見いだした。この劣悪さというのは、一つにはスクリーンに彼らを受け入れるどのような空間も無い事であり、もう一つは、一部分の映画は完全に映画工業の外に排斥されてしまっているということだ。

記:原因は何か。

1903賈:非常に多くの優秀な映画、例えばそれがDVを使って撮られたものなら、技術審査規定ではDVで撮ったものは映画館に入ることが出来ない、16ミリフィルムで撮影されたものであっても映画館に入ることが認められず、35ミリフィルムか高価な高精細で撮影されたものしか映画館系列に入ることができない。

1904賈:実際にはこのような技術的な関門は全く必要がない。みんなよく知っているように、現在映画を撮るときどのような材料を選ぶか、監督の自由であるべきだし、このような材料で撮影した後に、映画館がこれを受け入れるか受け入れないかは、一つの正常な市場検証行為で有るべきで、なのに現在は行政行為とされており、非常に不公平だ。それは非常に多くの監督を映画工業の外に押しやり、彼らには中国映画のこの系列のなかに入る機会がなく、永遠に周辺化されるほかない。

1905賈:このような情況の存在は、我々が長い間アピールしてきた、しかしどのような反応も得られなかった。そればかりでなく非常に多くの映画業界で影響力と発言力のある有名監督は、誰も立ち上がって話そうとせず、あんなに多くの若い監督がどのような空間も得られないのを見ているだけで何もしないのだから、映画祭の道に進まざるを得ない、すると彼らは逆に若い監督達は映画祭の為だけに映画を撮っていると罵るのだ。これは非常に不公平なことだと私は考える。

1906賈:私が独立映画を撮り始めた頃のように、メディアは文化的にこのような創作をとても認めて、メディアの「資源」を使ってこれらの映画を文字によって紹介しようとしてきた。しかしこの1,2年は、とりわけ大作が盛んに撮られるようになってから、価値観全体が完全に彼らを改造されてしまってから後は、我々がメディアの上に若い監督の話を数行でも捜し出そうとしても、或いは彼らの作品の文字での紹介を見つけ出そうとしても、すでに非常に見つけにくくなってしまった。

1907賈:社会全体が映画を撮ったばかりや撮ろうと想っている若い監督に与えるチャンスはますます少なくなっている。このような情況は私の観察ではこの2年ほどのことで、去年の年末になると、私は語らなければならない、しゃべらなければならないと感じた。

1908賈:私が心痛に想っているのは、多くの私よりも発言権のある監督が、これまでこんなことをしなかったことだ。中国映画の分級制度がなぜまだ提案されてこないのか。所謂技術審査の弊害、どうして誰も話そうとしないのか。あれら大監督は私より発言権が多いのに、また影響力も大きいのに、彼らには政治協商会議委員の肩書きもあるのに、発言ルートが有るのに、これまでこのことを推進しようとしてこなかった。私はこれまでずっと幻想してきた、もっと能力のある人がこの責任を負うべきだと考えてきた、しかし私は非常に失望した。私はひとかどの人物でもなければ、大きな影響力もない。だから、私の方法は大声で騒ぎ立てる事なのだ。

記:私自身はあなたの映画がすきだ。しかし率直に言うなら、私は《三峡好人》を見に行かず、ディスクを買って見た。私は逆に《黄金甲》に数十元の入場料を貢献した。私の知っているところでは、非常に多くの人があなたの映画はすくだが、みんなディスクを買って自宅で詳細に鑑賞し、映画館には出かけない。

1909賈:どうしてそうなのだとあなたは聞きたいのか、そうか。

記:そうだ。これは毛普遍的な情況になっていて、映画館を出ると大作をけなし、心の中で本当に好きな映画は、映画館に行って入場料に貢献しようとしない。

1910賈:今日我々が直面している情況というのは、高額資金の投資と生産、映画は利益の為だけにあるという観念が、すでに非常に深く人々の心の中に入り込んでおり、それが一つの新しい、一つの大作神話の影響力有る発言を形成している。

1911賈:商業大作について言うと、先ず私が強調するのは私は決して商業に反対しているのではないということであり、商業映画に反対しているということでもない、反対に私は中国の商業映画というものをを非常に呼びかけてきた。私が商業大作を批判するのは、それが大きいと言っているのではない。映画は一つの商売として、資本を引き込むことが出来さえすればいいのであって、どれだけを投入するかは関係が無く、収入がいくらになるかも関係ない。問題はそのやり方のなかにあって、それが一種のファシスト性を具え、それが我々の内心の最も神聖な価値を破壊してしまったことにある。これこそが私が批判しようとしているものなのだ。

1912賈:今日商業大作の中国でのやり方は、我々が遵守しなければならない社会の基本原則を破壊することによって達成されたものであり、例えば平等の原則であれば、映画館の時間的空間的な支配を含が含まれ、行政権力との結合が含まれ、公共資源の占用が含まれる。中央テレビ局は初めから、ニュース全国放送では常に、誰それが出演するといった、このようなニュースを流す。

1913賈:このような公共資源の動員は甚だしいときには、空港の全ての公告が全てそれであったり、テレビを付けるとどのチャンネルもそれであり、新聞を開けばどのページもそれだったりする。社会全てがみんなこの映画の運営を援助するとき、それはもう1本の映画ではなく、一つの公共事件に変わってしまっており、このようにして、そのファシスト菌は蔓延し始める。これは決して人騒がせなことではなくて、社会学の角度から言っているのだ。

1914賈:大多数の観衆について言うと、ちょうど会議を開くのと同じで、今日の会議はお茶を飲み、セーターを編み、瓜を切る、内容はみんな想像がつくとよく分かっているのに、行かなければならない、行かないわけにはいかないからだ。大作のやり方はちょうどこんな会議のようなもので、だからみんな見ては罵り、罵っては見る、だが次の年も何も変わらないという状態が形成される。

1915賈:映画を作ると言うことが、もしも平等と民主の原則を破壊することによって成されるとしたら、これは私の最も心痛めるところだ。そのほか、大作を作る過程で、それがあのような価値を振りまくなら、同じように危害は極めて大きい。このような価値観は娯楽至上を含み、映画が引き受ける思想の効能をそしることなどを含んでいる。

1916賈:私はよく覚えている、当時みんなが《十面埋伏》のシナリオが手抜かりがあると批判したとき、張芸謀監督はこう言った、これは娯楽じゃないか!みんな映画館に行ってはははと笑えばそれでいいではないか!《英雄》を批判したときにも、彼はこう言った:「え、何でそんなに哲学ばかり言うんだ?」問題は《英雄》にあって、それに哲学が無いのではなく、いたるところに哲学があり、しかしそれは我々が非常に嫌悪し、抵抗するような哲学だった。しかし批評に直面したとき、彼は私は哲学が必要ないと言ったんだ。あなたは至る所で天下の概念を語ったが、あれは哲学ではないのか。あなたはどうして娯楽だと答えることが出来るのか。このような概念のすり替えは、あなたがすでに心を無くして厳粛な文化的話題に対していることを説明している。これはとても駄目なことだ。

1917賈:大作の製造者達は終始監修の選択と市場の選択を強調する。しかし問題は、市場の選択の背後の行政権力だ。監修の選択というなら、実は監修は非常に容易に主流の価値観の影響を受けるものだ。どれだけの監修が真に独立した判断を持っているか。文化の作用というのは大衆に一種の思考の習慣をもたらすと私は考える、そうして国家の人々の内心を一つの健康な方向に向かって発展するよう構成する。

1918賈:大作の中の娯楽至上の観点、金銭至上の観点、思想が受け止めるものを否定しそしる観点、大衆に深刻に影響している。しかる後、彼らは大衆に成り変わってこういう;大衆は疲れている、非常に苦しんでいる、娯楽が求められている、あなた達がこのようにすることが不道徳だ、どうしてそのうえ彼らに賈のこのような映画を見させようとするのか、さらに生活の中の不幸な事を語らなければならないのか。

記:私は私の有る同僚の言っていることを伝えることが出来る:賈の撮った映画は本当時真実だ、真実のほどはとんど生活と同じだ。しかし生活それ自身が十分に疲れ切って辛いものなのに、どうして我々は映画館に入ってまであんなに暗い生活を見なければならないのか。映画は夢ではないのか。

1919賈:もしも我々がこの問題でまだ疑問があるというのなら、それは基本的に文化の働きとか芸術の作用を認めないと言うことだ。どうして人類文化の主体や芸術の主体が悲劇であるのか。どうして人類は悲劇が必要なのか。これらの基本的問題を、まだ私が答えなければならないのか。私は劉恒の作品の中のある話が非常に好きだ、彼は魯迅について語ったとき、魯迅の文章の中の無辺の暗黒が、我々の暗黒を照らし出していると言った。

1920賈:芸術の効能というのはここにあって、それは我々に語っている、既成の事実のいくつかは謝ったものだ。我々はだからフィルムを通じて、引き続きそれら我々にとって不愉快な既成事実に直面する、それは我々が改変しなければならないからであり、我々がもっと幸せに、そしてもっと自由に、変わらなければならないからだ。ちょうど私がヴェニスで述べたように、今日に至るまでずっと、映画は常に私が自由を追求する一つの方法であり、中国人が自由を追求する一つの方法だからだ。そして無限の娯楽の背後には何があるのか。はっきり言うと、娯楽は無害なもので、この社会が娯楽を奨励し、我々の体制も娯楽を奨励する。

記:あなたは何度も提起してきたが、あなたの手元にはいま良いシナリオが無いのではない。そして国産の大作の最大と欠点とされるのはちょうどこの点で、あれほど多くの資金を投入して、たった1本の物語もちゃんと語れないのか。ライターたちは貧して《雷雨》や《ハムレット》も物語の構成まで借りてストーリーを展開している。あなたはこの問題をどう考えるか。

1921賈:現在の中国の映画の中では、ライターの仕事というのは基本的に監督の品位と欲求をしっかり守ることだ。ライターはシナリオの技巧を除いたほか、監督が表現しようと思っているものを看なければならない。正真正銘のものであっても良いし、生活に対する独自の発見であってもいい、あるいは生活を観察する新しい角度であっても言い。これらが書けていたなら、技巧がうまくても貧しいものだと私は考える。

記:このような「大作」構造はどうして形成されたのか。

1922賈:私は数年前の資料と記録をひっくり返してみたが、それは数人の大監督が改変しようと試みたときに不注意に手を出して始まったと感じる。彼らが変化を始めたとき、もっと広々とした芸術的視野に向かって自分の変化を向かわせたのではなく、ほとんどすべてが自分のそれまで堅持してきた価値の否定、芸術映画の価値の否定であり、「断裂」の方式でもって、新しい累計の中に入っていったのだ。当時彼らは創作のうえで、芸術映画の創作の上で、いずれもボトルネックの段階にあり、自我超越と自我更新の段階にあった。しかし彼らは自己のボトルネックを超越する精力も意志も無く、彼らは商業映画に変化していった。そしてその段階は、ちょうど和解監督たちが国際舞台で最も活躍していた時だった。

記:どうして彼らは一つの例外もなく商業論理の虜になったのか。

1923賈:私の研究と観察によると、彼らの何人かは常に時代の潮流の産物であり、彼らには現代芸術家の心理構造を改めようとはしなかったと私は考える。たとえて言えば、《黄土地》から始まって、《紅高梁》まで、この2本の映画は、この二人の監督は、彼らの創作はすべて時代の潮流の産物なのだ。

記:私の知っているところでは、あなたは《黄土地》をとても崇拝しているが。

1924賈:そうだ、私はそれが非常に好きだ。しかしここで我々は具体的な個人のことを話したり、具体的な作品を批判しているのではなくて、それを社会史の角度からその背後にある文化的な要因を考察しているのだ。そうであるならあなたは見て取ることが出来る、実際には《黄土地》は「尋根」文学全体の中に融合し、前の世紀の80年代のあの大きな思潮の中にあって、それはあの大きな思潮の映画における実践だった。そのままやってきて、《紅高梁》になったとき、1987年前後、改革は非常に多くの波乱を経て、あのころ、改革の中の強者の意識、英雄意識、精英意識が非常に強くなった。《紅高梁》の中で展開された所謂酒神精神は、社会思潮全体の要求に非常に符合した。

1925賈:振り返ってみると、彼らの作品は、一つの例外もなく、すべて当代文学作品を改編したものだった。これもこのような観察に暗合した、こういうことだ、彼らは文学に牽引されることを通じて、彼らの物語を形成した、このような物語の背後は、時代の潮流だった。彼ら数人の監督が表明してきた独立した思考力、独立した判断力は、すべて限界のあるものだった。

1926賈:前の世紀の90年代以後になって、中国は突然、思想の多元化、価値多元化の時代を迎えた。このような時代の中にあって、私は考えるのだが、彼らの創造に迷いが始まった。彼らは外在の主流価値を探し出しそれに依拠することが出来なくなった、なぜなら主流価値それ自身が分裂して多くの矛盾や間違ったものが形成された。このとき、ある主流価値が出現した、それが商業だ。商業が英雄に変化した。社会全体で経済運動が進められ、経済生活が中国人の唯一の生活、最も重要な生活になった、国家から個人まで。経済の活動が添加を統一し、そして文化の活動、思想の活動が完全に周辺かされてしまった。

1927賈:このような状況にあって、商業映画の制作、多額の資金投入する映画が、正当な理由あるものとして出現した。出発点からそれは非常にうまい言い訳になった、この言い訳こそ中国は映画興行を建設する必要があるということで、それは工業の合理性があり、筋が通って勢いがあった。

1928賈:そこで張芸謀、張偉平らは、身を翻してハリウッドを防ぎ止める英雄に変化した。彼らは言う、もしも我々が映画を撮らなければ、商業大作を撮らなければ、ハリウッドが進入してきて、中国映画は死んでしまう、と。これは人身を惑わす言い方だと私は思う。どうしてあなたが映画を撮らなかったら中国映画は死んでしまうのか、そんなことはあり得ない。

1929賈:商業的に成功したために、彼らの彼らの功名心も無制限に膨張した。しかし問題はここにある、彼らが商業的なやり方を進めたときに、真の意味での市場の成功ではなかった、はじめから彼らは行政資源と完全に一つに結合していた。もしも行政資源の手助けがなかったら、私は信じるのだが、彼らはこのような大きな支配を形成することはできず、そして中国のスクリーンの単調さは「文革」と違いはないと感じるようになってしまった。「文革」にだって8つの模範劇があり、そのほか小さな文工団の演出があった、なのに現在は1年にたった2本か3本の大作があるだけだ。

1930賈:このような資源の集中、集中的な利益の獲得は、中国映画の生態に厳重な破壊をもたらし、大量の若い監督たちの映画が全く映画館に入れなくなってしまった。

by KAI-SHI | 2007-01-14 17:49 | 賈樟柯  

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